2018年 沖縄視察 糸満市 まとめ③

糸満市 沖縄山城間院 長谷寺にて

糸満9条の会共同代表 平良宗潤先生に沖縄戦についてのお話を伺いました。

「沖縄戦とは、家族を奪われた戦争だった」

戦争にあわれたのは4歳の時。お姉さんと疎開先の北部の山原(やんばる)まで歩いた時のこと。6人兄弟のうち2人とははぐれてしまったこと、生きていればいつか会えると思っていたことなどを話してくださいまいました。

ネットをひくと「沖縄本島での沖縄戦は、1045年から3月26日から沖縄始まり、沖縄守備軍は、沖縄を守るのではなく、米軍を沖縄にくぎ付けにして、本土決戦に備える戦いだった。」とあり、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍とイギリス軍を主体とする連合軍と日本軍のとの地上戦で、戦没者は民間人を含み20万人とも言われています。

糸数アブチラガマ見学:ガイドさんの説明を聞きながら、洞穴の中の見学。

アブは、深い縦の洞穴。チラとは、崖。沖縄の方言で崖が縦に大きく落ち込んだところ。ガマとは、沖縄の方言で洞穴や窪みのこと。沖縄本島中南部はほとんどが隆起サンゴでできており、数十万年にわかって雨の浸食によってできた自然の洞窟が各地にあります。沖縄戦では、この洞窟が住民の避難場所となり、日本軍の作戦陣地や野戦病院としても利用されてきました。戦争が激しくなると、ガマは、軍民同居の形で米軍の的となりました。

糸数アブチラガマは、全長270mあり、日本軍の地下陣地や倉庫として使用され、戦場が南下するにつれて、南風原陸軍病院の分室となりました。昭和20年5月1日から軍医・看護婦・ひめゆり学徒が配属されたところですが、600名の負傷兵が運ばれたということですが、小さい空気穴が数か所ありましたが、息をするのも苦しかっただろうと思います。ましてひめゆりの10代の少女たちが兵隊さんたちのために頑張っていたと思うと、苦しくなりました。

 

まとめ

「沖縄は、いまだ戦争は終わっていないんだ!」

私が、沖縄との接点の中で、沖縄の人たちに「ヤマトンチュウとは温度差があるよね」と言われてきたことの溝が少しうめられたように思います。いくらひめゆりの塔にいっても、平和記念資料館や辺野古にいっても、集会に参加しても、沖縄の歴史と、今おかれている米軍との実情を知らなかった私は、上っ面をなぞっていただけだったのだということに気づきました。

沖縄を車で移動すると、お墓が大きいことがわかります。最近は変わっていたとはいえ、一族がみんな入るということです。沖縄戦が家族を奪われた戦争だと伺いました。家族を特に大切にする沖縄の人たちにとって、どれだけ悲しく、悔しいことだったのか。そして現在も存在する米軍基地。終わらない海兵隊員の横行。いまだ治外法権。

沖縄には、日本全体のアメリカ軍専用施設の約70%が集中しており、沖縄本島の約15%を占めていました。

フェンスの向こうはアメリカで、建物はそう高くなく、広い芝生に囲まれていました。私たちの滞在中に、米軍機の飛行の音を聞くことはありませんでしたが、オスプレイを遠くから見ることができました。

「地元の本音を聞け、戦争は終わっていない」ととても感じた視察でした。

※在日米軍関係経費は、2018年度予算で6001億円。