「それゆけ!市民のつどい」で区政にかける思いをお伝えしました

  15日の集会で述べた決意をご紹介します。

 これまで生きてきた中で、私にとって人生の節目となった出来事からお話ししたいと思います。 

 まずは、高校3年生の夏休みを利用してアメリカのサマースクールに行ったときのことです。ちょうど大統領選のときで、どの家にもドアには応援している候補者のシールが貼ってあり、小学生さえも「誰がいい」などと話していました。レーガン大統領のときでしたが、政治について、子どもも話に参加していることにびっくりしました。食卓で、家族で普通に話している光景は、日本にはないことだと思いました。 

 そして20年前、今日基調講演をしてくださった田中優さんに連れていっていただいた、阪神淡路大震災でのボランティア。ボランティアというのも初めてで、自分に何ができるのか?・・・という思いもありましたが「まずは行こう!」と思い、神戸に向かいました。神戸駅から長田まで歩いて行き、ピースボートの人たちに合流しました。町ごと焼けてしまった長田の町は、いぶしたようなにおいがまだ残っていましたが、夜の焚火に、天の川と月明かりの青白さがとてもきれいだったことは、今もよく覚えています。

 昼間になると、各自できることを探して行うわけですが、まだまだ混乱している町の中では、ボランティア活動も、秩序とか一定のルールを持って行うことが必要だと感じました。しかし、それ以上に、被災した方々が、今この瞬間、何に困っていて、何を求めているのかということを、現場の行政が吸い上げることの遅さや、四角四面の管理のしかたに、何かが違うと感じて帰ってきました。 

 また、4年前の東日本大震災では、地震と津波による未曾有の被害に、さらに追い打ちをかける形で発生した福島第一原発の事故によって、取り返しのつかない大参事を生みました。

 3年半が過ぎた昨年秋に、大熊町を訪れました。まるで地震が起きた時から、時間が止まってしまっているかのような感じでした。震災から4年が経った今でも、立ち入り制限され、事故現場の実態も分からないままです。基本的な人権が守られ、住み慣れた地域で平和に安心して生きることが、この先できるのでしょうか。 

 これまでの生活の中で、ことさら政治というものに強い関心を持ってきた訳ではありませんが、人がどのように生きられるのか、どう安心して日々暮らせるのかということを、すべて政治が決めていて、決められたことだけを行う行政に、いかに振り回されているのかということを、改めて気づきました。 

 行政を、国民・住民のために機能させるためには、政治を私たち自身が使いこなさなければなりません。そのためには、生活者・市民の声を反映させていかなければ意味がないと考えます。

 今回、私がみなさんの代理人として、その役割を精一杯はたしていこうと決意いたしました。

 誰もが平和に、安心して生きられる社会、人として尊厳を尊重される社会をつくるために、政治を身近なものにしてゆきたいと思っています。

 私、伊藤ひとみをどうぞよろしくお願いいたします。

 本日はありがとうございました。

大勢のみなさんに激励をいただきました。ありがとうございました。

 

みなさんとともにつくった選挙政策をお伝えしました。