2018年 沖縄視察 那覇市①

江戸川・生活者ネットワークの2018年沖縄視察

2018年8月12日~8月15日

今年の夏の視察を決めたのは6月ころだったと思います。

「辺野古の海が埋められてしまう」応援に行きたいと思っていました。

 

まずは、那覇空港についてレンタカーを借りて、沖縄国際大学 映画「ひまわり」鑑賞、シンポジウムに参加しました。

「あの悲劇の再来はゆるさない」

ストーリー:1959年6月30日沖縄県うるま市 宮森小学校に米軍機が墜落し炎上した。事故による火災は1時間後に鎮火したが死者17名(小学生11名、一般住民6名)、重軽傷者210名、校舎3棟、民家27棟、公民館1棟が全焼、校舎2棟、民家8棟が半壊する大惨事となった。当時2時間目終了後のミルク給食の時間だった。主人公は、その時の生き残り。仲の良い友達を失ったことを心に仕舞こんだまま今を迎えていた。

感想:事故に遭った人たちの心情が描かれていました。それぞれが、事故の瞬間の少し前を思い、「ああ言ってしまったから、友達は死んだんだ、自分のせいだ」「こうしなければ生きていたはず」「こうしていれば・・・」と残った人たちの胸にのこり、生涯そのことを心に悲しみをしまっていました。事故が起きなければまったく違った人生があった人達です。米軍機が空を飛行している。なぜ今も飛行しているのか。苦悩が伝わってきました。

さらに、この日の翌日は、沖縄国際大学に米軍機が墜落して14年になる日でした。

◎シンポジウム

司会:長堂登志子氏(わんから市民の会共同代表)

沖縄国際大学:石川明子氏:大学で映画を通して聞き取り調査を実施

なぜこの大学に落ちたのか。調査から何を感じたのかを学生に問いて、授業をされているそうです。宮森の事故から50年、つながっている。米軍機が落ちてくる。

遺族の会六三0会:伊波洋正氏:

1959年6月30日に宮森小学校に米軍機が墜落した時の当時者。当時6歳(小1)どういう事故であったかを伝えています。「米軍は、事故の後、子どもたちにお菓子を持ってきた。これは、子どもたちを現実から目をそらす役目をしている。くやしい。」

緑が丘保育園当事者:知念涼子氏:2017年12月米軍機からの落下物(部品カバー)があり、落ちてきた時の音がトラウマになっている子どももいる。「お空から降ってくるのは雨だけだよね」(胸がきゅーと苦しくなりました)「チーム緑が丘1207」で、県庁・政策調整監に、原因の究明や保育園の上空を米軍機の飛行禁止を日米庁政府に働きかけることを求める陳情書を提出。米軍家族の家や学校の上空は、飛行ルートではない、という事実をたくさんの人に知ってもらいたい。

映画「ひまわり」を観て、シンポジウムを聞いて、本当に何も変わっていないことが分かりました。基地がなくならないかぎり、いつ何が落ちてくるかわからない。それくらい頻繁に、米軍機は、沖縄の空を飛んでいるということが分かりました。普天間第2小学校の校庭には、子どもたちを落下物から守る避難所を建設されています。間違っていると思います。「落下物があるかもしれないから避難所を作る」のではなくて、「避難しなくてもいいように、飛行機を飛ばさない」では、ないでしょうか。米軍機が近くを通るようなときには、校舎に入るようにしたということです。1時限の間に2回もあるということでした。授業にならないし、それでいいわけがありません。

子どもたちを落下物から守るのではなくて、落下物がなくなるようにしないいけないと思いました。米軍が沖縄から、いや、日本から撤退してもらわないと!!